人生の様々な段階で異なる感覚があって後から補正が難しいことがある。例えば僕の場合は飲み代は気にならなくても映画は高い気がしてしまうとか。似たようなところで清濁併せのんできたにも関わらず妙に青臭い主張をするのもあって、これは結局のところ複雑な現実に置かれて高邁な理念との辻褄が合わなくなり、次第に感覚が摩耗した後も当人の存在意義として何かしら理念的なものを必要としている時、かつての理念を塩漬けにした嘗ての理念が時の洗礼を受けぬまま飛び出してしまうこともあるのかなと。