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type: article
title: 昔ほど何かに夢中になれない自分
timestamp: 2008-06-16T00:00:00Z
profile: sorane-okf/0.1
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# 昔ほど何かに夢中になれない自分

<p>明日は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%CC%BF%AE%A4%C8%CA%FC%C1%F7%A4%CE%CD%BB%B9%E7">通信と放送の融合</a>について講演することになってるんだけど、資料ができてなかったんで先方に電話したら、印刷の都合で明朝までには下さいといわれたんで、珍しく夜の10時近くまで残業した。で、帰りのエレベータで入社時にお世話になった女性の先輩と鉢合わせて、あまりに雰囲気が垢抜けていたんで最初は気付かなかったんだけど、向こうから挨拶されて、不器用な僕は「どうしたんですか急に奇麗になって」とか軽口を叩くこともできず、「うへっ」と驚いた顔をして「いや、あまりに雰囲気が違うんで」といったら、ちょっぴり笑われてしまったのだった。

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今日はあまり仕事が進まなかった。だいたい土曜に戻ってきたばかりで本調子じゃなかったところへ、何故かガ<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C0%A1%BC%A5%CA">ダーナ</a>イフの販売自粛の件で役所から電話がかかってきたり、出張の経費精算しようとしたら成田から帰りのバスの領収書が見つからなかったり、プレゼン資料をつくるために資料を漁って情報の海をdeep diveしてしまったり、手遊びで追っかけているOSのビルドが今日に限って壊れていたり、ともかく何もかも中途半端で落ち着かない。<br />
土曜の代休を取るつもりが上司とのミーティングが入ってたんだけど、休んでいたら明日の講演準備をする暇がなかった訳で、代休とってプレゼン準備するよりは出社すべきだったんだろう、きっと。<br />
最近という訳でもないんだけど、自分が何のために生きているんだろうとか真面目に考えなくなった。んっと、せめて昔は自分が夢中になっていることについて、もうちょっと世の中にとって大事な気がしていたんだけど、最近は何がどうなっても世の中そういうものだし、けれども自分なりに正しい方向に持っていこうとすることが無意味な訳でもないんだろうけど、別に立派なことじゃないし、結局のところ自己満足なんだろうな、とか思う。自己満足だけれど、やっぱり俺の満足できる世の中に近づけた方が心地よいし、それはきっと世の中にとって間違っていない気もするんだ。<br />
昔はもっと無邪気に俺がやるべきと思っていることは、世の中にとって重要なんだって信じ込めたんだけどねー。どう転んでも応分の結末があるよね的な確信みたいのって、やっぱ自分が歳食ったんだろうか。けれども淡々と飄々と生きるでもなく、カッコ悪くムキになって勝ち負けを気にする自分もいる訳だ。<br />
自分のそういう醒めた自我とアツい文脈とを行き来する中で、ところで俺、何のために生きているんだっけ、とか考えても、さっぱりピンと来ない。アメーバとか何から世の中に様々な生き物があるけれど、多くの生き物は自分が生きていることさえ気付かないし、生きていることに気付いている人々の多くでさえ、別に何かのために生きている訳ではないし、何かのために生きていると確信を持っている人々のかなりの割合が、そう思い込まされる状況に置かれてるんだろうな、とか考えてみると、生きる目的があるのとないのとどっちが健全か分からなくなることとかあるよ。<br />
自分が様々な物語に対して同期できるようになっている時に、何かの物語に同期するのは、そうしなければ誰ともコンテクストを共有できないからで、何かの物語を自分が全て受容なり消化しているかというと、それは時と場合による。けれどブログにせよ仕事にせよ、プライベートの様々な人間関係にせよ、そういうコンテクストの中でしかコミュニケーションって成立していない訳だ。そして誰もが様々なコンテクストを並行して生きているし、それらは時に矛盾している。<br />
自分がそうやって矛盾しまくっている程度に、世の中も矛盾していることを受け入れようとした時、どちらも矛盾しているから<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%EA%C2%D0%BC%E7%B5%C1">相対主義</a>的に現状を全肯定して思考停止すべきか、というとそういう話でもなくて、世の中に正義を押し付けるのって、括りを改めて正義の平準化を図る、或る種の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BA%DB%C4%EA%BC%E8%B0%FA">裁定取引</a>のようなものにみえる。世の中それぞれのコンテクストでは正義の均衡状態が成り立っていて、或る種の世直しって本質的にコンテクスト間の貿易なんじゃないかな。そして、枠を設定すること自体が最も政治的だったりする訳だ。<br />
独善的な決めつけと<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%EA%C2%D0%BC%E7%B5%C1">相対主義</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CC%B5%B8%C2%B8%E5%C2%E0">無限後退</a>との間に、無数の確信犯的な<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%C8%A1%BC%A5%EA%A1%BC%A5%C6%A5%EA%A5%F3%A5%B0">ストーリーテリング</a>があるんだろうけれど、そういう正義間の葛藤とか自分の持っている認知の歪みを突き放してみつつ、それでも誰もが物語を通じてしか世界を縮減できないみたいな諦めって、どこで教え学べるのだろうか。その辺の支離滅裂を棚上げできると、だいぶ楽に生きることができるんだけどね。突き詰めて全ての辻褄が合うほど、世の中って単純じゃないし、与えられている認知や時間の制限が大き過ぎる。<br />
認知欲求が満たされていない時、どうしても自分の理想と現実との辻褄が合ってないことに原因を求めがちだけれども、そういった思い込みによる卑下の齎す居心地の悪さや偏狭さがよほど人生を制約している場合が多いんじゃないかな。何かしら居場所を持つことって重要だし、何故そこにいるかの理由なんて必要ない。コンテクストを共有し、自分が周囲から受け入れられればいいんだろう。それが難しい環境も結構あるんだろうけど。</p>
