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type: article
title: 時間泥棒
timestamp: 2008-03-05T00:00:00Z
profile: sorane-okf/0.1
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# 時間泥棒

<p>日本に戻ってきた。飛行機に乗ったのは5日だが帰国は6日。それでブログに穴を開けてしまった。悔しいのでバックデートする。これから追いつくといいのだが。いつも飛行機に乗る時は山ほど本を買い込む。今回も10冊ちょっと買い込んで行き帰りの飛行機で読んだ。書評を書ければいいのだが、何冊も読んだ後だとグチャっとなってしまって思索にまとめる余裕がない。そういう乱読が正しいのか分からないんだけど、書評に整理したところで数ヶ月後には忘れているのである。

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本って意外と不便である。何冊もあると嵩張るし、よくホテルの部屋に忘れてしまう。じゃあ<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/e-Book">e-Book</a>かというと目がチカチカして読むに堪えない。そういう意味で<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%C5%BB%D2%A5%DA%A1%BC%A5%D1%A1%BC">電子ペーパー</a>技術には期待している。だいたい時差ぼけの原因の何割かは、パソコンの明るい画面を凝視して脳が活性化して寝られないことにある気もする。<br />
飛行機に乗っているとネットに繋がらないのだが、ネットに繋がらないと珍しくWordを立ち上げて溜まっている原稿を書き始める。オフラインだからといってブログをWordで書いて後からコピペしたっていいんだが、ネットに繋がってないと溜まっている原稿に手をつけるのである。然るに、カタチは対象を規定しているのだろうか。Webをダラ見する延長線上にブログを書くことがあって、Wordを立ち上げた途端に、Wordで編集すべき文書のTODOリストが想起されるのかも知れない。<br />
そろそろ<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EF%A1%BC%A5%D7%A5%ED">ワープロ</a>とか<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%BD%B7%D7%BB%BB">表計算</a>とか古くて、真っ白なキャンバスに自由に型のあるオブジェクトを埋め込めればと思うんだが、それは<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A1%BC%A5%BF%B7%C1%BC%B0">データ形式</a>として美しいとしても、ではユーザー体験として利用者に何を最初に見せるのか、というところは課題となるだろう。昔<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%A4%A5%AF%A5%ED%A5%BD%A5%D5%A5%C8">マイクロソフト</a>がUniversal <a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/Canvas">Canvas</a>で構想し、最近は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E3%A5%B9%A5%C8%A5%B7%A5%B9%A5%C6%A5%E0">ジャストシステム</a>が<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/xfy">xfy</a>で挑戦していることはたぶん正しいんだけど、恐らくデータ構造をそのままUIとして具現化する時代は終わっていて、利用者に提示するところは型にはまっていないと途方に暮れるのかも知れない。或いは長期的にはUI自体をモードレスにしていくのかな。<br />
僕らの目の前にある技術体系は必然のようにみえて、激しく経路依存的に成り立っている。それに気付くには微に入り細を穿って仕様や実装の理不尽に悩み、歴史に学んでそれはそれで合理的な技術的判断の集積の上でのことなのだと衝撃を受けて、自分が良かれと思って決めたことも、思わぬところで生き残ったりコピペされて、誰かを苦しめるんだろうな、とか思いを致してみる訳だ。実際には他人を苦しめるところまで辿り着けば充分に立派なのだろうけど。<br />
汚い実装が生き残ってるんじゃなくて、融通無碍に生き抜いた結果として汚くなっているんだよ、という話は世の中に山ほどある。それに腹を立てることのできる初々しさって、ある種の若さなのだろう。一見して汚く複雑にみえる何かほど、そうなる過程があって奥深かったりするものである。そういった成熟した自生的秩序に立ち向かう時、それらの歴史的な合理性を斟酌しつつ、変化を促す働きかけをしていくために目の前にある均衡を相対化する視座も持ち合わせる必要があるんだけど、両睨みしながら現実的に物事を辛抱強く前に動かせるようになるにはどうしたらいいんだろう。</p>
