最近ちょっと考えるのは,世の中には希少性を念頭に置いた論理と,それとは正反対に流動性を念頭に置いた論理があるのではないかということだ.希少性とは例えばフラれた相手のことを思い出して「こんな素敵なところも,あんな素敵なところも兼ね備えたひとは他にいない!」という発想だし,流動性とは例えば,遠藤周作のエッセイにあった気がするが,スタジアムに何万人ものひとがいるのをみて「ここに何万人のひとがいるということは,彼らの父母がいて,その回数だけのエッチなり恋愛があったということだ」という発想だ.まあどっちも正しいのだが,どちらを念頭に置くかで発想はだいぶ変わってくる.