---
type: article
title: 自己選択や天職という幻想
timestamp: 2007-07-23T00:00:00Z
profile: sorane-okf/0.1
noFontEmbedding: true
---

# 自己選択や天職という幻想

<p>僕も今年30になった。いまは何とかなるが次第に転職が難しくなってくる年頃である。20代のうちは諸々手を伸ばしていても、器用だね、優秀だね、といわれるが、段々と「このままじゃ便利に使われちゃうぞ」とか「器用貧乏に終わっていいのか」「君の専門性って一体なあに」とかいわれて、耳の痛い思いをするのである。

<br />
僕はどちらかというと専門性を磨いてきたつもりでいるが、あまりにニッチ過ぎて市場性があるかどうかはよく分からない。付加価値を高めていくための差別化とは、一歩間違えば無消費の荒野を分け入ることになる訳だ。そこは肥沃な<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D6%A5%EB%A1%BC%A5%AA%A1%BC%A5%B7%A5%E3%A5%F3">ブルーオーシャン</a>かも知れないし、自己満足の使えない趣味人かも知れない、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%E6%B0%EC%BD%C5">紙一重</a>の世界だ。<br />
ただ気づいたのだが、進路のことで悩む奴というのは、悩みようがある程度には選択肢や可能性を持っているということであって、悩んだって逆立ちしたってできることが決まっているのであれば、そもそも悩みようがないのだ。キャリアで悩むことができるのは、キャリアについて一定の自己決定権を担保している自覚があるということであって、それは歴史的にみてかなり恵まれている状況ではないか。ぼくも生涯一エンジニアと考えていた頃はそれほど悩まなかったが、あちこち誘われるようになってから、むしろ悩みは深くなった気がする。<br />
<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%AF%B8%F9%BD%F8%CE%F3">年功序列</a>・終身雇用というのは意外と良くできていて、熟練と潰しの利かなさとが表裏一体であることを見越して、その会社に過剰適応することを従業員に求める代わりに、段々と給与が増えるようにしていく訳だ。これは経済が右肩上がりかつ熟練度が生産性向上に結びつく世界では通用するが、ITのようにオフショアからの賃金下落圧力がある上に、技術革新によって熟練がチャラになることもある世界では難しい。あまり論ぜられないが、日本でメインフレーマが何社も生き残り、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EC%A5%AC%A5%B7%A1%BC%A5%B7%A5%B9%A5%C6%A5%E0">レガシーシステム</a>が林立しているのは、本質的には雇用問題である。まさか<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%D2%B2%F1%CA%DD%B8%B1%C4%A3">社会保険庁</a>でDIPSが2001年まで動いていたとはね。裏を返せば、特に米国の数年おきにコーディングをころころ変えさせるような急速な技術革新も、技術進歩という面と、それを<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CF%AB%C6%AF%BB%D4%BE%EC">労働市場</a>が望んでいることと、両面があるのではないか。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%D7%CF%C3%B5%D9%C2%EA">閑話休題</a>。<br />
しかし天職なんてあるのだろうか。まぁきっと運命の出会いみたいなもので、今そこにある偶有性を持った現実を、どういう気持ちで受け止めて、前向きに付き合っていくかという問題ではないか。派手な仕事であれ、地味な仕事であれ、楽しいことも辛いこともある。それしかできることがなければ悩まないし、他に選択肢がみえていて、どちらが将来的に自分にとって正しいか分からないと悩むのである。即ち仕事を通じた<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%B8%CA%BC%C2%B8%BD">自己実現</a>も恋愛結婚も同根であり、近代故の悩みである。他の選択肢を意識しなければ悩みようがない。近代以前だって、多くの人が自分が選んだわけじゃあなくたって、見合い相手を運命の出会い、親から継いだ職業を天職と感じたのではないか。思い込んでしまえば何だって運命の出会いだったり天職だったりするのだろう。自責である分、現代の方が辛い気がする。<br />
そういうハ<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CD%A5%E0%A1%BC">ネムー</a>ンを越えて、生涯の伴侶なり、ライフワークを見出し得るかとなると、青い鳥じゃあないが探すのではなく育むべきではないか。気がつけば10年追っかけているトピックとか、10年付き合っている伴侶とかがいる訳だ。それだって遠からず別れるかも知れないし、これからも30年、40年と続くのかも知れない。<br />
僕は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AD%A5%E3%A5%EA%A5%A2%A5%D7%A5%E9%A5%F3">キャリアプラン</a>とかつくったことはない。けれども通信政策も、OSの中身も、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%F0%CA%F3%B2%C8%C5%C5">情報家電</a>とか暗号とか電波とか、他にも諸々のことを、得もしないのに気付いたら10年以上も追いかけていた。何かになるためではなく、ただそれが追いかけずにはいられないほど気になったから。結果として、そういった知識と、何よりそういう関心に基づいて知遇を得た人々に囲まれて、いまやっていることが天職であるかも知れないと感じる。ただ、そういう仕事は目指そうにも存在しなかったし、10年後何になっているのかと問われても答えようがない。<br />
きっと僕は、これまでも、これからも、確かなるモノとか道筋を追うのではなく、自分が興味を持ち、関与したいと感じているコトを追いかけるだろう。その過程で様々な人と出会い、機会を得、業界や歴史と噛み合う手応えという自己満足のために、自分の居場所を組み立てていくことになるのだろう。<br />
大検予備校時代に僕のフロム好きを知って彼女がプレゼントしてくれた『<a href="http://d.hatena.ne.jp/asin/431400181X/mkusunokhaten-22">生きるということ</a>』という本があって、いまふと読み返しても中身はすっかり忘れてしまっていたが、原題は"<a href="http://d.hatena.ne.jp/asin/0553274856/mkusunokhaten-22">TO HAVE OR TO BE</a>"という。そうか生きるというのは、何を得るかではなく、どう在るかなんだな、しかしこの邦題は月並みだなといたく印象に残っている。どんな社会に於いても、確かに何を得ているかがどう在るかを規定してしまうことは少なからずあるが、順序としては、やはり自分がどう在りたいかが先に来るべきであろう。eXtreme Programmingの<span style="font-style:italic;">"You Aren't Going to Need It"</span>というコトバが少し近いかも知れない。<br />
確かに在りたい立場に対して何かを持っている必要があることもあるが、何を持っているかでどう在るかが規定されてしまうのは典型的な<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EC%A5%C3%A5%C9%A5%AA%A1%BC%A5%B7%A5%E3%A5%F3">レッドオーシャン</a>であって、自分の心に従って粛々と価値を積み上げ、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D6%A5%EB%A1%BC%A5%AA%A1%BC%A5%B7%A5%E3%A5%F3">ブルーオーシャン</a>を分け入っていけば、持つべきものを得る機会を与えられるのではないだろうか。そういう意味で、自分がどう在りたいか内面に耳を傾けずに闇雲に何かを得ようとすることが、在るべきところに自分が向かう上で近道になることは少ないのではないか。つくづく生き難い時代という気がする。</p>
<blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/ktdisk/20070722/1185109537" title="Casual Thoughts - 30代キャリア考　止まらず探し続けること"><p>転職をする際に、その職業が自分の天職であるという確信がなくとも構わないとは今でも思うが、「自分が何に興味がある何者なのか」という問いに対して考える材料にふれ、考え続けることは基礎の基礎であることを痛感した。</p>
</blockquote>
