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type: article
title: スクエニでPICSYの打ち合わせ
timestamp: 2004-02-17T00:00:00Z
profile: sorane-okf/0.1
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# スクエニでPICSYの打ち合わせ

<p>最初から関わってる割には，たまに議論に参加しているくらいで目にみえる貢献をできていなところが，ちょっと気まずい．<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/PICSY">PICSY</a>は，ある価値観に基づく，交換制度のファインチューニングという側面もある．そもそも<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/PICSY">PICSY</a>に於ける予算制約というのは，会計に例えると手元<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CE%AE%C6%B0%C0%AD">流動性</a>や与信枠のようなもので，<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%DD%CD%AD">保有</a>している資産の価値を反映していないのではないか，という議論をしたところ，<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/PICSY">PICSY</a>ではそもそも，資産を退蔵する<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A4%A5%F3%A5%BB%A5%F3%A5%C6%A5%A3%A5%D6">インセンティブ</a>を持たせるべきではない，という話になった．ノートPCを持っているからといって，ノートPCの交換価値が購買力に反映されるべきではなく，その人にとってのノートPCの利用価値が購買力に反映されるようになれば，確かに資産を退蔵することによる<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%D4%CF%AB%BD%EA%C6%C0">不労所得</a>はなくなり，モノはそこから利用価値を引き出せるひとのところへ行くだろう．ノートPCを持っているのは重要ではなく，ノートPCがあることでそのひとにできるコトが重要なのである．<br />
そういえば，<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%A2%BE%BE%BE%C4">廣松渉</a>の『哲学入門一歩前』の副題は「モノからコトへ」だったし，予備校時代にハマったフロムの本に"to have or to be"とゆーのもあったな，と思い出す．</p>
